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 「新撰組―幕末京都を翔けた若き志士たちの軌跡―」 <連載…13>

沖田総司が元治2(1865)年、3月21日に佐藤彦五郎へ宛てた書状が現存しています。
時候の挨拶に続き、「無沙汰の詫び」、「京都の関係者が無事であること」、「土方歳三らが、今度、江戸や日野へ隊士の募集に帰るので、挨拶があるだろうこと」、「自分も一緒に帰ってご機嫌伺いしたかったのだが、忙しくて帰れないこと」、「京都の話の委細は土方から聞いてほしいこと」、そして「山南敬助が2月26日(実際は23日ですが)、死去したこと」などを記しています。
山南敬助は、新撰組結成当初からの同志で、新撰組副長まで務めましたが、隊を脱して大津から連れ戻され、壬生の屯所で隊の規則に従って切腹しました。
新撰組内部で路線を巡る問題が背景にあったとされています。
介錯したのは沖田総司との説もあります。
山南は多摩の人々にも親しかったので、彼の死は衝撃を与えたことでしょう。
光縁寺の山門前右手には「新撰組之墓」の石柱が建っています。
本尊横の祭壇には新撰組隊士の霊を祀る位牌が安置されています。

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